バタフライドリーム(お年玉小説)

★バタフライドリーム

 年の暮れの、寒いながらも華やかな町並みを桐生和人は歩いていた。
 納会と称した忘年会が行われる会場に行く道だったから、服装は上から下まできっちりと着こなした「オン」の状態だった。
 車はコインパーキングに停めてきた。わざわざ駐車場がない会場に車できたのは、会で出るであろう酒を断るためだった。二次会三次会と誘われてはたまらない。ゲームをしながらクール終わりのアニメをつまみに飲む缶ビールより美味い酒はこの世に存在していないからだ。
 ゆるやかな坂を歩いていたら、ふと、目にとまる店があった。
 腕時計を見て、時間を確かめてから、あたたかな明かりのもれる、その店に入った。壁中に並んだ、万年筆に惹かれるようにして。

 ──いらっしゃいませ。
 ほがらかな声がかかった。奥に男性がひとり。手前には、若い女性がひとり。迷わず桐生は、その女性店員の元に歩を進めた。品物を見て回ってもよかったが、時間があまりなかったし、そこに玄人がいれば玄人に聞くに限るだろう。

若い女性が書きやすい筆記具を探しているんですが」
「贈りものでしょうか」
「いえ」

 店員の問いに即答してから、ちょっと言い直す。

「いえ、差し入れというか……お礼というか。プレゼントっていう、わけではないです」

 そう、プレゼントでは、ないのだ。
 プレゼントでは、ないのだが。

「では、ちょっとしたものでご案内いたしましょうか」
「いえ」

 淡々と桐生は言う。

「応援と感謝の気持ちは重いんで。ちょっとしないものでもいいです」

 なるほど……? と曖昧な返事がかえった。
 気を取り直したように、会話が続く。

若い女性の方が使いやすくって、応援と感謝の気持ちをこめた、ちょっとしないもの……万年筆でよろしいですか? ボールペンやペンシルもありますけれども。ほかにもなにかご希望があればうかがいます。たとえば、お相手の方のイメージとか」
「万年筆、使うかなって疑問もあるんですが……まあ、差し入れは差し入れ側の自己満足みたいなものなので……。希望は、そうだな……」

 少し考えて、桐生は言う。

「朱色、か、蝶がモチーフになっているものがいいです」

 推しキャラの色でもよかったけど。

「朱色……」

 店員は少し考えて、ケースの中から一本の万年筆を出してみせた。

「朱色といえば、こちらはペリカンのM800、バーントオレンジというモデルです。朱色と黒のコントラストがきれいで、ちょっとレトロな雰囲気があるペンです」
 桐生が目を細める。
「ああ、綺麗ですね」
ペリカンの万年筆は初心者のかたにもおすすめです。万年筆らしい柔らかさと、ほどよいコシがあるペン先ですね。ただちょっと、このM800のサイズは軸が太めなので、女性の手には大きいかも……」
「確かに。女性というより……」

 少女なので、という言葉は桐生は濁した。
 ちなみに値段を尋ねると。

「ええとこちらは……税抜きで六万円ですね」

 ヒュウ、と軽く桐生は口笛を吹く真似をした。
 店員は少し微笑んで、桐生に尋ねる。

「高い、と思いましたか?」
「いや、燃える値段ですね。ハイレアktkr」
「?」
「いや、お気になさらず。値段は構わないんですけど、確かにちょっと太いですね」

 この万年筆でサインをしている朱葉を思い浮かべたら、ありだなとは思ったけれど。
 これとインクをセットでおくったら、さすがにちょっと、引かれるだろうか。

「女性らしいものでしたら、デルタのパピヨンが確か……ああ、でも、在庫をみてみないと……」

 女性店員がいくつか候補を探すそぶりをみせると、すっと脇から、ケースが差し出された。
 奥にいた男性店員だった。
(イケメンだな)
 と思わず桐生は思った。入ってきた時は気づかなかったけれど。
 そのケースに置かれていたペンを見て、桐生は思わず言う。

「これ、可愛いですね」

 出された商品に気づき、女性店員の顔もぱっと華やいだ。

「そうだ、蝶……! これがありました! オンラインというドイツのメーカーが、25周年記念で出したものなんです。形は定番のビジョンというモデルで、柄はドラゴンと蝶の二種類。こちらは蝶ですね。値段も二万をきるお手頃な値段なので、ボールペンとセットでもいいと思います」
「ボールペン……も、あるんですか?」
「はい、先ほどのモデルもありますよ。この万年筆はペン先が金ではなくステンレスです。金に比べてちょっとボールペンに近い硬さがあるので、使い慣れてない方にも向いているかと思います。最初の一本、惜しげもなく使っていただくのにいいかと」
「ふむ……」
「おすすめはやはり万年筆ですが、両方買っておいて、その方と晴れておつきあいすることになったら、万年筆もプレゼントするというのも素敵だと思います」

 どうやら完全に、そういうプレゼントだと勘違いをしているようだった。否定をするのもめんどうなのでそのままにしておいたけれど。

「あ、あとこちらは限定品なので――」
「あ、買います」

 限定品という言葉に弱い男、桐生和人28歳。

「ボールペンの方だけ、派手じゃない程度に包んでもらって……」
「色はどうされますか? ターコイズとローズゴールドがありますが」
「こちらのピンクの方で」
「はい、それではローズゴールドのバタフライドリームで」
「え?」

 思わず、聞き返す。
 嬉しそうな笑みを浮かべた女性店員は、もう一度繰り返した。

「こちらのモデル名です。バタフライドリーム」

 可愛いですよね、といわれ、桐生はしばらく口をぽかんと開けていたが。
 しばらく放心したのち、耐えきれなくなったように、破顔した。

「嬉しいです。ありがとう。ぴったりだ」

 包まれた紙袋を受け取って。
 浮かれた足取りで店を出る。差し入れとそろいの、もう一本の美しい万年筆は、飾っておこうと思いながら。

 バタフライドリーム。

 自分にとっては、まさに美しい、蝶の夢だ。

 

(2017年お年玉小説。

「ようこそ紅葉坂萬年堂」/「神尾あるみ」のシリーズ [pixiv]

(神尾あるみ先生)とのコラボ。ありがとうございました!)