イケメン☆初体験(お年玉小説)

 

イケメン☆初体験(お年玉小説)


 朱葉は大学生になって、たくさんの「初体験」を済ませた。どれも印象深いものであったけれど、けれど、それでもこの体験は、とびきり強烈なものになるのだろう、とはじまる前からわかっていた。
 強めのブザーの音が鳴ると、場内の空気が変わった気がした。

「先生、やっぱり、わたし、ちょっと、怖いかも……」
「大丈夫だ」

 膝の上の手を握る、桐生の手も心なしか震えている気がする。

「俺がついているから──!」

 冬の入り口。都内某所にて。
 今日の朱葉の初体験は、はじめての、「イケメン舞台」であった──。

 

 はじまりはささいなことだった。
 SNSでまわってきた、人気乙女ゲームの舞台化告知、それに対して「ちょっと興味あるかも……」と朱葉が呟いた、それが運の尽き。
 勤務時間中にもかかわらず速攻桐生から連絡が入り、「今夜迎えに行くから。話がある」とあまりに真剣な申し出。
 車に乗り込んだ瞬間、切り出された。

「どこまで……本気?」

 いや、どこまでもここまでもねーですけど、と朱葉が答えた。
「ちょっと行きたいって言っただけじゃないですか! 先生怖い!」
「ちょっと行きたい! それが! それが入り口でいいじゃないか! 俺も行きたい!!」
「結局先生が行きたいんじゃないですか!!」
 いつもオタクコンテンツに関しては金にものを言わせて一歩先ゆく桐生であるので、舞台観劇が初めてではないのだろう、と朱葉も思っていた。
 けれど桐生もそれほど多くの経験があるわけではないらしい。(ないとは言っていない)
 基本は映像で。最近は配信なども多いので。
 もちろん現場にまさる面白さなどこの世の中にはないけれども、「この沼は、あまりに深すぎる……」というのが桐生の言だった。
「でもわたしなんかが行っていいんですかね? ゲームは面白いけど、にわかみたいなものだし……」
「この世ににわかじゃなかった専門家なんていないし、行きたい舞台に行ってよくない人間なんかいない!!」
「声が大きい! チケットもとれないんじゃないですか!?」
「取れないチケットは、ない……!」
 ぐっとハンドルに力をいれながら桐生が血を吐くように呟いた。
「……ない、と言いたいところだが、もちろん取れないチケットはある……。特に今回は主演があの桂くんだ」
「けいくん?」
 親戚の子か? と朱葉が思う。
「葉山桂」
「あ、聞いたことある気がする~~。フォロワーさんでもめっちゃ好きな人がいて」
 朱葉がスマホを取り出し検索をかける。「あ、かわい」と小さく呟けば、「そう!!」と隣から返事があった。
「可愛いんだ桂くん! 葉山桂! あのわんこ系の純粋さの中に、ちら見えする情念がたまらないんだ……! さすがは一度はアイドルとして芸能デビューを果たした男、舞台の世界に来てもその輝きはひときわということだ……!」
「くわしい」
「今一番チケットがとれない男のひとりでもある。そんな彼の満を持しての主演舞台、しかも原作は今一番波が来ている乙女ゲーだ。このあいだも雑誌の20ページにわたる特集記事が圧巻だった。あの時にさらなる情報アリの文字、まさに俺達は今、あのゲームのさらなる先に……!」
「葉山くんの話どうなりました?」
「そう!! その主演の葉山桂に加えて今回の座組、とんでもないんだ」
「とんでもないとは……?」
「……顔が、いい」
 と、黙って社会人コスをしていれば顔だけはいい桐生和人もうすぐ30歳が言う。
「誰も彼もたまらん顔の良さだ!!! 眺めて見ればわかる!」
「へ~。本当にビジュアルがいいですね。顔採用?」
「顔がいいだけで選ばれる価値はある!! 選ばれたのは顔でした!! 一向に構わない!!」
「はいはい、わたしあのゲームだと、チャラ男くんが可愛いと思ってたんですよね……あ、役者の子も可愛い~!」
「高良涼!!!!! 俺もその子は気になっているところだ最近大きい舞台に出始めている子だが前作の吸血鬼ものの演技は光るものがあった、彼は、彼は顔だけじゃない子だ……!」
「前作……」
 どこまで調べたのだろう、と思ったけれど聞くと長そうなのであまりつっこまないことにした。
「どうだ! 行ってみたくなっただろう!! 俺はなった! 特に今回は舞台の中でもアイドルもの! 初めて見るには刺激が強すぎるかもしれないが、どうせ死ぬなら盛大に死んだ方がいい!!」
「なんで死ぬこと前提なの!? いやそれアイドル関係ある!?」
「ある」
 桐生が整った横顔で、眼鏡を押し上げながら言った。

「アイドルは……すごいぞ、朱葉くん」

 何がすごいのかと聞けば、「見ればわかる」という返事。そしてあれよあれよという間に、見ることが決定していたのだった。

 

 イケメン舞台の「初体験」として桐生が選んだのは、その舞台の初日だった。
「初日って……特に激戦だったんじゃないんですか?」
「特に激戦だった。しかし初日には初日の良さがある」
 チケットを握りしめながら蕩々と桐生が語る。
「全通を含めた複数回観劇であれば、また観劇スタイルがかわってくるだろうが、たった一度きりの観劇であるなら俺は千秋楽よりも初回を押していく。なぜなら客席もまた舞台装置だからだ」
「客席もまた舞台装置」
「俺達はそこに現れる世界に一喜一憂し息を呑む。時に笑い時に泣き、生の感情をぶつけあうことになるだろう。それこそ拍手のタイミングもアドリブの入り方も、初回であれば噛み合わないきらないかもしれない。しかしその不協和音をこそ俺は愛したい!!! そして何より……!!!」
「何より?」

「初回に入っておけば、それから先に増やせるチャンスが一番多い」

 桐生は常に未来にチャンスを狙う男だった。
「とっていただくチケットですし、先生の行ける日に合わせますけど……」
 会場に近づきながら、そこに集まってくる人の気合いの入り方に、朱葉は驚いてしまう。
「え、みんな……みんなすごくないですか!?」
 女の子が、可愛い。
 パーティとは言わないが、爪の先からメイクまで、きらめき方が違う。
「そりゃすごかろう。なんてったって客席降りのあるアイドル舞台だからな。客の気合いの入り方が違う」
「客席降り……? あ、なんか自信なくなってきちゃった……」
 場違いかもしれない、と朱葉がぐるぐるしていると、ぽんぽん、と背中を叩かれた。

「いつも可愛いから、大丈夫」

 おっ? と朱葉が思ったが、「それに今回の座席は残念ながら通路席とはいえない後部座席だしファンサは俺がいただく」と続けたので、いつものように台無しだった。

 

 満席となった客席は、おさえこんだような興奮と、不安と期待に満ちた囁き声に満ちていた。
「当たり前だけど……女の子ばっかりですね」
「いや、そんなことないな。ほらあの、前通路の席」
「あ、ほんとだ! 男の子がいる!」
 斜めから横顔と後ろ姿しか見えなかったけれど、朱葉と同じくらいだろうか、若い男の子が少し緊張した顔で座っていた。
「彼女の付き添いとか……?」
「いや、あれは違う」
 目を細めながら桐生が淡々と告げる。
「まず鞄が大きい。あれは間違いなくパンフレットが入ることが想定されているサイズだ。加えて通路の邪魔にならないように配慮されて置かれているし、何より座り方が深く可能な限り背中を背もたれにつけている」
 あれは、本命の戦士の背中だ────。
 そういうものか? ただの言いがかりでは? と朱葉が思ったが。
「だとしたら、好きな役者さんとかいるんですかね」
 なんの気なしに、朱葉が言う。
 そうして開演前のベルが鳴り、緊張が最高潮に達したところで、幕が上がり、朱葉の「初体験」が、はじまる……。

 

 心臓がもたない、と思うほどの長さであったし、かと思えば一瞬だった。
「め、めちゃくちゃ楽しかった……!!」
 帰り際にもまだ、心臓がはねていた。「アイドルはすごい」という桐生の言葉は、垣根なしに本当だった。間違いがなかった。
 ただでさえ美しい人間が、歌って踊るのだ。しかも二次元から抜け出した、そのままの姿で! そしてなにより……。
「先生、見た?」
「見た」
 ぐぐっと両の拳をにぎりしめて、朱葉と桐生が言う。

「あの男の子、推しからファンサを、もらってた…………!!!!」

 あれは絶対、絶対そう!! と思わぬところで二人、盛り上がってしまった。アイドルはすごい。ファンサもすごい。そして、そのファンサが、好きな人に届くって、素敵なことだ。
(いいもの、見たなぁ……)
 何もかもが初体験。けれど、最高の初体験だと、朱葉は思った。
 冬の日、ふわふわと二人で歩きながら、世界がキラキラ輝いて見えた。

 

 

(一足早いですが、2019年お年玉小説となります!

今回のSSはコラボ……というよりささやかなファン創作となりますが、

麻実くんはガチ恋じゃない! - pixivコミック | 無料連載マンガ

をお読みの方に、より楽しいものとなっております。

ひととせ先生、ありがとうございました! これからも麻実くんの推し活を応援しております!!)